東銀座と私 / 宮本亞門(後篇)

東銀座と私 / 宮本亞門(後篇)

2024.04.30
東銀座と私
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今と昔を結ぶまち、東銀座。まちや風景は変わってもそこで過ごした時間やかけがえのない経験はいつまでも心に残り続けるー
東銀座にゆかりのある方々に東銀座や銀座、築地などを含め、このエリアで過ごした想い出やこれから期待することなどを文や絵など形態にとらわれず、前篇・後篇として2回にわたり自由に綴っていただくエッセー企画「東銀座と私」。
その第7弾となる今回は、新橋演舞場前の喫茶店で生まれ育ち、演出家として世界で活躍している宮本亞門さんに演出家の原点となったまちの想い出や今後への想いをご寄稿いただきました。今回は後篇をお届けいたします。

日本劇場 昭和41(1966)年8月20日(写真提供:中央区立京橋図書館)

僕は、2~3歳頃から泣かない子で有名だったらしくて、劇場に連れていっても平気っていうのを新橋演舞場の方たちもわかっていたので、舞台が始まると母が僕を抱っこして、こっそり後ろで立ち見をさせてもらったり…。いろんなものを観させていただいて、本当に演舞場の皆さんのおかげです。モスクワ芸術座も定期的に来ていたので、ロシア人の方と仲良くなったり。あとは歌舞伎座にも通って、歌舞伎の演目も全部観ていました。僕にとっては、歌舞伎座と新橋演舞場は独特な世界で、芸能と大人の世界がある面白い場所でしたね。そんな僕がミュージカルをやるとは、当時を知る人は誰も思っていなかったと思います。どちらかというと歌舞伎とか、そちら方面に行くのかなって思われていたと思いますね。

築地本願寺「ブディストホール」(客席数:164席)

築地市場も活気がすごくて、その横にある築地本願寺も他と違う雰囲気が好きでよく遊びに行っていました。今でもここらへんにいるとなんかホッとするんですよね。そういうこともあって、自分が初めて演出家としてやるんだったら近くがいいと思っていて。そんな時に、ちょうど築地本願寺の「ブディストホール」を借りられることになり、すごく興奮しました。そこで29歳の時に初めて演出をして、その後、31~32歳ぐらいの時に、日生劇場でミュージカル『エニシング・ゴーズ』という舞台を演出しました。当時、最年少だったと思います。

あと有楽町の日劇や日劇ミュージックホールにもよく通っていました。日比谷では、映画やミュージカル映画を山のように観たし、僕はこの辺りのまちのすべてからエンターテインメントの影響を受けていると思います。あの頃は日劇の近くの赤レンガによく行っていました。大学生になると、父に「お前みたいな子供が来るとこじゃないけど、連れてくよ」って言われて、「ルパン」に一度連れていってもらったのも想い出です。今でも「ルパン」はちょくちょく行きますね。

小さい頃に一番想い出があるのは「大銀座まつり 音と光のパレード」。当時は想像を超えるくらいの大きなパレードでした。各デパートや企業が大きな屋台みたいなものを作って、ずっと行進するんです。あれは1年で一番幸せな時間でした。夜のお祭りなので、もう何時間も前から銀座通りで御座を敷いて皆が待っていて…。復活したらものすごく盛り上がりそうな気がします。当時は皆でひとつになっていた感じがしますね。

「大銀座まつり 音と光のパレード」の様子(写真提供:中央区立京橋図書館)

大人になってからは、やっぱりまちの歴史にすごく興味があって。江戸時代、木挽町(現東銀座)に江戸三座のうちのひとつにあたる芝居小屋(※)があって、それが芝居の始まりであるっていうのを知れば知るほど、やっぱり惹かれます。ああ、こういうところに生まれ育ったんだという感謝というか…。歴史を知れば知るほど嬉しいですね。

僕が幼い頃は、早朝は築地のトラックが演舞場の周りにバーっと並び、それが昼前になくなると今度は劇場のお客さんがどっと溢れて。そして夜の18時ぐらいからは黒塗りのハイヤーでいっぱいになるという。いい意味で、みんなの生活や食の楽しみみたいなものが朝から夜まで循環しているような。あと、小さな神社がたくさんあって、母と一緒によく回りました。芸者さん達に小物を買ってあげたりとか、散歩するのにも楽しい場所でした。こんなに活気があって賑やかで面白いところだったんだ、人間味あふれている場所だったんだというのを知ってもらえたら嬉しいですね。

「新富町新富座景」井上探景筆 1884年出版(国立国会図書館蔵)

どこも同じようなまちになってしまうというのはすごく残念だなと感じていて、ここには「東をどり」という文化が脈々と続いているのが救いだと思います。特色のあるまちがなくなってしまうっていうのは悔しいので、これほどの文化があったんだ、お芝居が生まれた場所があったんだということは、何らかの形で引き出してほしいなと思います。やっぱりお祭りなど人が集う形が良いと思うので、例えばたった1日でもいいので、まちの中を歩行者天国にして、歩きながら昔のものも楽しみつつ、野外の劇場も楽しめるイベントもいいかなと思います。あちらこちらで三線の音が聞こえ、芸者さんが踊っている…とか。周囲のお店も一緒に協力して、自分のお店のものを屋台で出すのも面白いですよね。何かをしない限り人は集まりづらいと思うので、「これは面白いよ」と感じてもらえるイベントをやっていくべきだと僕は思います。


(※)江戸三座のひとつで木挽町(現東銀座周辺)にあった歌舞伎の芝居小屋「森田座」。天保の改革で、猿若町へ移転後、安政5(1858)年に「森」を「守」に改めます。その後、明治5(1872)年に新富町に移転し、明治8(1875)年に「新富座」と改称しました。文明開化の社交場ともなり賑わいをみせ、大正12(1923)年に関東大震災で焼失するまで興行を続けました。

前篇はこちら

<プロフィール>

宮本 亞門(みやもと・あもん)
1958年生まれ。演出家として世界で活躍し、2004年には東洋人初の演出家としてオンブロードウェイにて「太平洋序曲」を上演、同年にトニー賞4部門にノミネート。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎などジャンルを問わず幅広く作品を手掛けている。またテレビドラマ初出演として、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」にて作詞家・藤村役を演じた。

宮本亞門 プロフィール

アイスショー「氷艶Hyoen2024 -十字星のキセキ-」演出
日程:6月8日(土)~11日(火)/ 会場:横浜アリーナ

アイスショー「氷艶Hyoen2024 -十字星のキセキ-」公式HP

東京二期会オペラ「蝶々夫人」演出
日程:7月18日(木)~21日(日)/ 会場:東京文化会館 大ホール

東京二期会オペラ「蝶々夫人」公式HP

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」出演(作詞家・藤村役)

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」公式HP